ごぼうの党の代表として活動する奥野卓志さん。その破天荒な行動や型破りな発言の裏には、驚くべき家庭環境と由緒正しい家系があります。
奥野卓志さんの父親は、商社大手の長瀬産業で顧問・執行役員を務めていた奥野良一さんという人物。母方の家系には「土佐の交通王」と呼ばれた野村茂久馬さんが存在し、政治や経済の世界でも影響力を持つ華麗なる一族です。
今回はそんな奥野卓志さんの父親像、家系背景、そして家族のエピソードを中心に詳しく見ていきます。
奥野卓志父親はどんな人物なのか
奥野卓志さんの父親である奥野良一さんは、老舗の総合商社・長瀬産業株式会社で顧問や執行役員を務めていた経歴を持つ人物です。
長瀬産業は化学品や電子素材などを世界規模で展開する名門企業であり、その中で役員まで務めたということは、経営・財務・貿易など幅広い分野で高い能力を発揮していたことを意味します。
父・良一さんは、家庭でも厳しい中にも愛情のある人物だったと言われ、若い頃から息子である奥野卓志さんに「働くとは何か」「責任とは何か」を教えていたそうです。
大阪市立大学商学部を卒業後、実業界で大きな実績を積んだ父の姿が、奥野卓志さんの「実業家としてのDNA」の源になったといわれています。
父親との思い出はどんなものがあるのか
奥野卓志さんは、自身が代表を務める東洋ライフサービスの公式コラムで「お父さん」というタイトルの記事を掲載しており、そこで父親との思い出を語っています。
幼少期、奥野卓志さんが海で泳ぐ際、父親が背中に乗せて平泳ぎをしてくれたというエピソードが印象的に記されています。
父・良一さんは多忙な実業家でしたが、子供との時間を大切にしており、休日は家族で海や山に出かけることが多かったそうです。
その優しさと誠実な性格は、奥野卓志さんの中に深く刻み込まれており、後の人生観形成に大きな影響を与えました。
奥野卓志の母親と祖父母はどんな人なの
奥野卓志さんの母親は奥野秀子さんで、旧姓は島崎といいます。
母方の祖母は島崎好子さんで、「土佐の交通王」と呼ばれた野村茂久馬さんの三女にあたります。
つまり、奥野卓志さんは実業家で貴族院議員も務めた野村茂久馬さんの「ひ孫」にあたり、母の実家は高知県の名門「野村一族」に連なる家柄です。
祖父の島崎直俊さんは、土佐商船の社長を務めていた人物で、高知県の海運業界を支えた経営者でもありました。
母・秀子さんも教育熱心で文化的素養が高く、幼少期の奥野卓志さんに対しては「生き方の自由」と「学びの本質」を教えた家庭教育をしていたと言われています。
母方の家系が政治や実業に強かったって本当
母方の家系である野村一族は、高知県の経済発展に大きく寄与した「土佐財閥」とも呼ばれる名家です。
祖先の野村茂久馬さんは、明治期に鉄道・バス・海運業を展開し、高知県の交通・観光インフラの基礎を築いた人物です。
さらには坂本龍馬像や板垣退助像の建立にも尽力し、地元では名士として尊敬を集めています。
吉田茂元首相とも親交があり、茂久馬さんの功績を称えて吉田氏が自ら銅像の建立を命じたと言われています。
こうした由緒ある家系に生まれた奥野卓志さんには、小さな頃から「誇り高く生きる」という価値観が自然と根付いていったのです。
奥野卓志の家庭はどんな環境で育ったのか
奥野卓志さんは1974年に高知県で生まれています。
父親が商社マンで全国を飛び回っていたため、家庭は経済的には恵まれていましたが、常に緊張感と学びの意識が強い環境だったと言われています。
家の中では新聞や経済誌が常に置かれており、テレビよりも読書時間を大切にする雰囲気がありました。
母・秀子さんはピアノや茶道などの文化教育にも力を入れており、芸術的感性を育てる一方で、人との礼儀を重んじるしつけも徹底していたそうです。
また、祖母の好子さんの影響で「人に喜ばれることを仕事にしなさい」という教えを受けたことが、社会活動への原動力になったといわれています。
父親の仕事スタイルと教育方針の関係は
商社マンとしての父・良一さんは、グローバル視点を持った人物でした。
そのため家庭でも、幼い奥野卓志さんに対して「日本の常識にとらわれるな」「世界の視点で物事を考えろ」という教育をしていたそうです。
奥野卓志さんが高校時代に詰め込み教育に疑問を感じ、白紙答案を提出して自主的に学び方を変えた背景には、父親の「自分の頭で考えろ」という教えが深く関係しています。
父親は彼の選択を否定せず、「自分で責任を取れるならそれでいい」と支えたといわれています。
父親の影響で実業家への道を選んだって本当なの
奥野卓志さんは、高校卒業後に大学へは進学せず、自らの手でビジネスを学ぶ道を選びました。
この決断の背景にも、父・良一さんの教えがあります。
「学問も大切だが、実践で学ぶことの方が成長が早い」という言葉を胸に刻み、19歳から社会人として働き始めました。
そして27歳で創業した東洋ライフサービスを成功に導き、世界22カ国に商品の輸出を展開する企業へと成長させたのです。
この「行動力」と「経営センス」は、まさに父親譲りの気質だといえるでしょう。
父親をどう語っているのか
奥野卓志さんは、取材や講演で父親について語ることが少なくありません。
「父は哲学者のような人だった」「何よりも誠実で、裏表のない生き方をしていた」「人は地位ではなく、行いで評価されると教えてくれた」など、深い尊敬の念を口にしています。
一方で「父は優しいけれど厳しく、自分を甘やかすことを絶対に許さなかった」という言葉も残しており、父子の間に強い信頼と緊張感があったことが伝わります。
奥野卓志が現在も引き継いでいる父親の教えとは
奥野卓志さんは、現在でも父の生き方を指針としていると語っています。
父の教えのひとつに、「人脈は目的ではなく結果だ」というものがあります。
その言葉を胸に、政治・経済・芸能といった各界の著名人と自然な信頼関係を築いてきました。
また、「本当の成功とは、人に感謝されること」という父の哲学が、彼の慈善活動や若者支援プロジェクトに反映されています。
一見破天荒な行動の裏には、父から受け継いだ「誠実さ」と「人を思う心」があるのです。
まとめ
奥野卓志さんの父親、奥野良一さんは長瀬産業の顧問・執行役員を務めたエリート実業家であり、誠実で責任感の強い人物でした。
母・秀子さんは文化的教養にあふれた女性で、祖父母は土佐商船の経営者、さらに曾祖父は「土佐の交通王」野村茂久馬という、日本の近代化を支えた偉大な実業家でした。
こうした名家に生まれた奥野卓志さんは、単なる裕福な家庭の出身ではなく、実力と理念で道を切り開く力を受け継いだ人物といえるでしょう。
父親の教えを胸に、今もなお多分野で挑戦を続ける奥野卓志さん。その原点には、厳しくも愛情深かった父親・奥野良一さんの存在があるのです。
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