「そ・わ・かの法則」で多くの人に感動を与え続けた心学研究家・小林正観さん。2011年10月12日、享年62歳という若さでこの世を去った彼の死は、多くのファンに衝撃を与えました。
ありがとうの力で病気も治ると説いていた小林正観さんが、なぜ亡くなってしまったのか。その死因と晩年の闘病生活、そして彼が最期まで貫いた生き方について、詳しく探っていきます。
小林正観死因は糖尿病による腎不全だったのか?
小林正観さんの死因は、糖尿病による腎不全でした。長年にわたる過労と不規則な生活が原因で糖尿病を患い、それが悪化して腎臓機能が低下し、最終的には人工透析を受けるまでになっていました。
小林正観さんは年間300回もの講演を行う多忙な生活を送っており、1年のうち360日は働いているという状況でした。全国各地を飛び回る講演活動により、疲労と冷えが蓄積していたのです。
また、講演先では多くの方から差し入れをいただくことが多く、その中には甘いものが多く含まれていました。これらの要因が重なって糖尿病を発症し、やがて腎不全へと進行していったのです。
2009年頃から体調を崩し始め、2年半ほど前から本格的に体調が悪化しました。糖尿病からくる腎不全で体に水がたまるようになり、2年前の10月末には緊急入院を余儀なくされました。この時は「奇跡のセイカン」と呼ばれる回復を見せましたが、その後も入退院を繰り返すことになりました。
なぜ小林正観は「ありがとう」で病気を治せなかったのか?
多くの人が疑問に思うのは、「ありがとう」の力で病気が治ると説いていた小林正観さんが、なぜ自分の病気を治すことができなかったのかということです。しかし、小林正観さんの哲学を理解すると、この疑問には明確な答えがあります。
小林正観さんは「人生はすべてシナリオ通り」「人間の寿命は変えられない」と常々語っていました。つまり、病気になることも、亡くなることも、すべて避けることのできない運命だったというのが彼の考えでした。
実際に、小林正観さんは「ありがとう」によって病気は治ったとされています。目の病気に対して「目の病気を治してくださってありがとうございます」と言い続けていたところ、手術の日程が決まったという体験談もあります。また、「絶対安静で、血液検査では死んでいるレベル」だった状態から「ありがとう」で回復したこともありました。
しかし、小林正観さんにとって重要だったのは、病気を治すことではなく、病気に対する受け取り方を変えることでした。出来事は変えられないが、受け取り方は変えられるというのが彼の基本的な考え方だったのです。
小林正観の晩年の闘病生活はどのようなものだったのか?
小林正観さんの晩年は、闘病生活と講演活動を両立させる日々でした。糖尿病が悪化し、腎臓機能が低下して人工透析が必要になっても、彼は講演活動を続けていました。
2010年11月から人工透析を始めてからは、体調も良くなっていき、講演数も徐々に増えてきました。特に亡くなる年の夏以降は、どんどん元気になっていたと関係者は証言しています。
小林正観さんには「病識」がほとんどありませんでした。病識とは病気である自覚のことですが、点滴や透析をしても前と後では変わらず、数値が悪いと言われても、つらいところはないと語っていました。これは彼の前向きな受け取り方の表れでもありました。
病気になったことで、小林正観さんは新たな気づきを得ていました。病気の人の気持ちがわかるようになり、病気になったことで本がたくさん書けるようになったと語っていました。また、実際に病気になっても「幸せ」と言えるのか試されているとわかったとも述べています。
小林正観の最期の日々はどのように過ごされたのか?
小林正観さんの最期の日々は、まさに彼らしい充実したものでした。亡くなる直前の2011年10月10日と11日には、1泊2日で「正観さんとの上高地・帝国ホテルツアー」に参加していました。
このツアーは、小林正観さんの「紅葉を見に行きましょうか。上高地の帝国ホテルに泊まれたら、さらに楽しいですね」というひと言から企画されたものでした。好天に恵まれ、小林正観さんもとても元気ににこやかに参加者の皆さんとご一緒されていました。
とても楽しい2日間を過ごした後、上高地をあとにして山中湖にあるご自身のマンションに戻られました。ところが、その日の夜、就寝中に体調が急変したものと思われます。未明に病院へと運ばれましたが、2011年10月12日午前5時41分、ご逝去が確認されました。
死の1ヶ月前にも多数の講演を行っており、まさに死の前日まで元気に活動されていました。これは「ありがとうで病気は治る」という彼の教えが本当だったことを示しているとも言えるでしょう。
小林正観が伝えたかった「病気との向き合い方」とは何だったのか?
小林正観さんが病気を通して伝えたかったのは、病気に対する受け取り方の重要性でした。彼は病気になったことを悲観的に捉えるのではなく、前向きに捉えていました。
小林正観さんの主張によれば、すべてはシナリオ通りであり、人間の寿命は変えられないものです。出来事は変えられないが、受け取り方は変えられるというのが彼の基本的な考え方でした。
病気になったことで、小林正観さんは多くのことを学びました。病気の人の気持ちがわかるようになり、病気になったからこそ書けた本もありました。また、実際に病気になっても「幸せ」と言えるのかを試されているという気づきも得ていました。
糖尿病が悪化して目が見えなくなったこともありましたが、それさえも前向きに受け取っていたといいます。これは彼の「うれしい・たのしい・しあわせ」という生き方の実践そのものでした。
小林正観さんは、病気を敵視するのではなく、病気とも仲良くつきあうことの大切さを身をもって示してくれました。病気になったとしても、その受け取り方次第で人生は変わるということを、最期まで体現し続けたのです。
小林正観の死が多くの人に与えた影響とは?
小林正観さんの死は、多くの人に深い影響を与えました。彼の教えを実践していた人々にとって、師の死は大きな衝撃でしたが、同時に彼の生き方の素晴らしさを再確認する機会でもありました。
小林正観さんは生前、講演で「ここに参加されている方より私は早く死にます」と語っていたといいます。これは彼が自分の寿命を受け入れていたことを示しています。
彼の死後、多くの人が小林正観さんの教えを振り返り、その深さを改めて理解するようになりました。病気になっても最期まで前向きに生きた姿は、多くの人に勇気と希望を与え続けています。
また、小林正観さんの主治医である西本クリニックの院長・西本真司医師は、小林正観さんの生還劇を題材にした「奇跡のセイカン」という本を出版しています。これにより、彼の闘病生活の詳細が明らかになり、多くの人が学ぶことができるようになりました。
小林正観の遺した教えは現在どのように受け継がれているのか?
小林正観さんが亡くなってから10年以上が経ちましたが、彼の教えは今でも多くの人に愛され続けています。YouTubeやAmazon Audibleなどを通じて、彼の講演録を聞くことができ、昔よりも多くの人が彼の教えに触れることができるようになりました。
株式会社SKPでは、毎日のように小林正観さんの動画をアップロードしており、新たなファンも増え続けています。また、Amazon Audibleでは11本ほどのフル講演録がアップされており、より深く彼の教えを学ぶことができます。
小林正観さんの著書も継続して読まれており、「そ・わ・かの法則」をはじめとする多くの作品が、今でも多くの人に感動を与え続けています。特に「ありがとうのすごい秘密」や「ありがとうの神様」などの晩年の作品は、彼の40年にわたる研究生活の集大成として高く評価されています。
彼の死因である糖尿病についても、多くの人が学びを得ています。過労や不規則な生活の危険性、そして病気との向き合い方について、小林正観さんの体験から多くのことを学ぶことができるのです。
まとめ
小林正観さんの死因は糖尿病による腎不全でした。年間300回もの講演を行う過労と、差し入れの甘いものが原因で糖尿病を発症し、それが悪化して腎不全に至ったのです。しかし、彼は最期まで自分の哲学を貫き、病気さえも前向きに受け取り続けました。
「人生はシナリオ通り」「出来事は変えられないが、受け取り方は変えられる」という彼の教えは、自身の病気と死を通してより深い意味を持つようになりました。病気になったことで得られた気づきや学び、そして最期まで「うれしい・たのしい・しあわせ」を実践し続けた姿は、多くの人に勇気と希望を与え続けています。
小林正観さんの死は確かに多くの人にとって大きな損失でしたが、彼が遺した教えと生き方は、今でも多くの人の心に生き続けています。彼の死因を知ることで、私たちは健康の大切さと、どんな状況でも前向きに生きることの素晴らしさを学ぶことができるのです。
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