2024年10月、日本を代表する俳優・西田敏行さんが76歳で逝去しました。その訃報とともに、50年以上にわたって彼を支え続けた妻・寿子さんの存在に注目が集まっています。
元女優志望だった寿子さんは、なぜ自身の夢を諦めてまで西田さんを支え続けたのでしょうか?
二人の馴れ初めから、寿子さんの献身的なサポート、そして西田さんの健康管理まで、知られざるエピソードの数々。日本を代表する俳優を支えた「影の功労者」の素顔に迫ります。
西田敏行の妻はどんな人物?
西田敏行さんの妻である西田寿子さんは、1951年生まれの73歳(2024年現在)です。西田敏行さんより4歳年下で、元々西田敏行さんの大ファンだったと言われています。
寿子さんは、西田敏行さんと出会う前は女優を目指していました。1971年に西田敏行さんが所属していた劇団「青年座」に研究生として入団したことが、二人の出会いのきっかけとなりました。
西田敏行さんは寿子さんに一目惚れし、数カ月後には寿子さんのアパートに転がり込んで同棲を始めたそうです。その後、1974年8月に結婚しました。
寿子さんは、西田敏行さんとの同棲をきっかけに劇団を辞め、女優の夢を諦めました。それ以降、西田敏行さんの下積み時代を支えるため、様々なアルバイトを掛け持ちしながら経済的なサポートを行いました。
西田敏行と妻の馴れ初めは?
西田敏行さんと寿子さんの馴れ初めは、1971年に遡ります。当時、西田敏行さんは24歳、寿子さんは20歳でした。
寿子さんは西田敏行さんの大ファンで、彼が所属していた劇団「青年座」に研究生として入団しました。そこで西田敏行さんは寿子さんに一目惚れしたのです。
西田敏行さんは寿子さんに猛烈にアタックしたと言われています。ある日、二人で一緒にお酒を飲んだ後、西田敏行さんが寿子さんの自宅アパート(4畳半)を訪れました。そこには、ひびの入った鏡台くらいしかなかったそうです。
寿子さんは「女優だから鏡台は必要だけど、そのほかはいらない」と言ったことに、西田敏行さんは強く惹かれたそうです。質素な暮らしぶりに満足している寿子さんの姿勢に、「この人となら長く一緒にやっていけそうだ」と感じたのではないでしょうか。
その後、西田敏行さんは寿子さんのアパートに転がり込む形で同棲生活を始めました。二人の関係は急速に深まり、1974年8月に結婚に至りました。
西田敏行の妻はどのように夫を支えてきたのか?
西田寿子さんは、西田敏行さんの俳優としてのキャリアを50年以上にわたって支え続けてきました。その献身的なサポートは、西田敏行さんの成功に大きく貢献したと言えるでしょう。
まず、寿子さんは自身の女優の夢を諦め、西田敏行さんの下積み時代を経済的に支えました。喫茶店やブティック、スナックなど、複数のアルバイトを掛け持ちしながら、西田敏行さんが俳優として成功するまでの生活を支えたのです。
また、西田敏行さんが体調を崩した際には、献身的な看病を行いました。2001年に頸椎性脊髄症で手術を受けた際や、2003年に心筋梗塞で緊急入院した際にも、寿子さんは常に西田敏行さんの側にいて支えました。
さらに、西田敏行さんの健康管理にも気を配っています。以前は一日60~70本もタバコを吸うヘビースモーカーだった西田敏行さんですが、寿子さんの厳しい指導により禁煙に成功しました。また、食事の管理も徹底的に行い、西田敏行さんの体重管理にも貢献しています。
寿子さんは、西田敏行さんの仕事にも深く関わっています。リハビリや病院への付き添いはもちろん、家でもできるリハビリメニューを実践するなど、西田敏行さんが俳優として活動を続けられるよう、あらゆる面でサポートしています。
西田敏行と妻の間にはどんなエピソードがあるのか?
西田敏行さんと寿子さんの間には、50年以上の結婚生活の中で多くの心温まるエピソードがあります。
一つは、西田敏行さんが寿子さんに頭が上がらないというエピソードです。結婚前、西田敏行さんは寿子さんに猛烈にアタックしていました。毎日何通もの手紙を送り、結婚を迫ったそうです。そのため、夫婦喧嘩をすると、寿子さんはその手紙を出してきて「どう落とし前つけるんだ」と言うそうです。このエピソードは、二人の関係の深さと、寿子さんの西田敏行さんへの影響力を示しています。
また、西田敏行さんは長女が生まれた時、寿子さんに「育児がひと段落したら、女優に復帰していいんだよ」と言ったことがあります。しかし、寿子さんはこの申し出を断りました。寿子さんは、西田敏行さんを家庭面からサポートする覚悟を最初から決めていたのです。このエピソードは、寿子さんの西田敏行さんへの深い愛情と献身を表しています。
さらに、西田敏行さんの健康管理に関するエピソードもあります。西田敏行さんが心筋梗塞で入院した際、主治医から不摂生を指摘されました。それを受けて寿子さんは、西田敏行さんに禁煙と禁酒を厳しく言い渡しました。その結果、西田敏行さんは禁煙に成功し、体重も90キロオーバーから82キロにまで落とすことができました。
西田敏行の妻は夫の仕事をどのように見ていたのか?
西田寿子さんは、西田敏行さんの仕事に対して常に深い理解と支援を示してきました。寿子さんは西田敏行さんの「一番のファン」と言われており、彼の出演作品は欠かさず見ていたそうです。
寿子さんは、西田敏行さんの俳優としてのキャリアを最優先に考えていました。自身の女優の夢を諦めてまで西田敏行さんをサポートしたことからも、その姿勢がうかがえます。
また、寿子さんは西田敏行さんの健康管理を通じて、彼の仕事を支えていました。食事の管理や運動の促進など、西田敏行さんが最高のパフォーマンスを発揮できるよう、日々努力を重ねていました。
さらに、寿子さんは西田敏行さんの長寿と現役続行を強く願っていました。「100歳まで生きて」「死ぬまで演技を続けて」と言っていたそうです。これは、西田敏行さんの仕事に対する深い敬意と、彼の才能を信じる気持ちの表れだと言えるでしょう。
2019年に西田敏行さんが『探偵!ナイトスクープ』の司会を降板した際も、寿子さんは「主人は、死ぬまできっと現役です。お仕事さえいただければ、続けていきたいと思っているんじゃないかしら」と語っています。この言葉からも、寿子さんが西田敏行さんの仕事に対して常に前向きな姿勢を持っていたことがわかります。
まとめ
西田敏行さんと妻の寿子さんの50年以上にわたる結婚生活は、深い愛情と相互理解に満ちたものでした。寿子さんは自身の女優の夢を諦めてまで西田敏行さんをサポートし、彼の俳優としてのキャリアを支え続けました。
二人の関係は、単なる夫婦以上のものでした。寿子さんは西田敏行さんの健康管理から仕事のサポートまで、あらゆる面で献身的な支援を行いました。その結果、西田敏行さんは日本を代表する俳優として成功を収めることができたのです。
西田敏行さんと寿子さんの関係は、現代の夫婦にとっても学ぶべき点が多いでしょう。互いの夢を尊重しつつ、時には自己犠牲を払ってでもパートナーを支える姿勢は、真の愛情の形を示しています。
2024年10月17日に西田敏行さんが亡くなった後も、寿子さんの献身的なサポートは多くの人々の記憶に残り続けることでしょう。二人の50年以上にわたる愛の物語は、日本の芸能界に残る美しい伝説となったのです。
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