松坂慶子さんと高内春彦さんの結婚は、1991年に世間を騒がせた「格差婚」として話題になりました。
しかし、結婚から30年以上が経過した今、二人の関係性は大きく変化しています。 今回は、松坂慶子さんの夫・高内春彦さんに焦点を当て、これまでの歩みと現在の姿を詳しく探ってみましょう。
松坂慶子の夫・高内春彦はどんな人物なのか
高内春彦さんは、1955年生まれのジャズギタリストです。 松坂慶子さんより2歳年下になります。 高内さんは、ニューヨークを拠点に活動していたミュージシャンで、結婚当時は日本ではほとんど無名に近い存在でした。
高内さんは、ジャズギターの世界では高い評価を受けており、著名なミュージシャンとの共演も多数あります。 しかし、一般的な知名度は松坂慶子さんと比べると圧倒的に低く、これが「格差婚」と呼ばれる所以となりました。
結婚当初は、松坂慶子さんの両親からも強い反対を受け、「金のある娘に寄生するヒモ亭主」などと厳しい言葉を投げかけられたこともあります。
高内春彦の音楽キャリアはどのようなものか
高内春彦さんは、ジャズギタリストとして確かな実力を持っています。 ニューヨークでの活動中は、ジャズ界の著名人たちとも共演を重ねてきました。
結婚後も音楽活動を続け、日本でもライブやセミナーを行っています。 また、NYでは1日500万円の仕事をこなすこともあったと言われており、決して「ヒモ」と呼べるような存在ではありませんでした。
しかし、日本での知名度の低さや、松坂慶子さんの圧倒的な人気との対比から、高内さんの実力や収入が過小評価されてしまう傾向がありました。
松坂慶子と高内春彦の馴れ初めはどのようなものだったのか
松坂慶子さんと高内春彦さんの出会いは、1986年頃のニューヨークでした。 当時34歳だった松坂さんは、日本で大女優として名を馳せていましたが、ニューヨークでは自由な時間を過ごしていました。
一方、高内さんは、ニューヨークのジャズシーンで活躍するミュージシャンでした。 二人は、音楽を通じて親しくなり、交際に発展しました。
交際期間は約4年間続き、1990年12月29日にニューヨークを訪れた松坂さんに、高内さんがプロポーズをしました。 そして、1991年1月2日に、ニューヨークで挙式を挙げました。
結婚の報告は、松坂さんが帰国後の1月17日に行われ、この時初めて二人の交際が世間に知れ渡ることとなりました。
なぜ結婚が「格差婚」と呼ばれたのか
松坂慶子さんと高内春彦さんの結婚が「格差婚」と呼ばれた理由は、主に以下の点にあります:
- 知名度の差:松坂さんは日本を代表する大女優である一方、高内さんは日本ではほぼ無名だった
- 収入の差:松坂さんの収入が圧倒的に高かった
- 年齢差:松坂さんが2歳年上だった
- 活動拠点の違い:松坂さんが日本、高内さんがニューヨークを中心に活動していた
これらの要因が重なり、世間やメディアから「格差婚」というレッテルを貼られることになりました。 しかし、この見方は表面的なものに過ぎず、二人の本当の関係性を正確に反映していたわけではありませんでした。
松坂慶子の両親はなぜ結婚に反対したのか
松坂慶子さんの両親、特に父親の英明さんは、高内春彦さんとの結婚に強く反対しました。 その理由としては、以下のようなものが挙げられます:
- 高内さんの経済力への不安
- 知名度の低さ
- 娘の将来への心配
- 結婚の報告が突然だったこと
特に、松坂さんの父親は週刊誌の取材に応じ、高内さんを「金のある娘に寄生するヒモ亭主」と厳しく批判しました。 この発言は大きな話題となり、松坂さんと両親の関係に深刻な亀裂を生むことになりました。
結果として、松坂さんは両親と一時絶縁状態になってしまいます。 この親子の確執は、長年にわたってメディアでも取り上げられ続けました。
親子の和解はいつ、どのように訪れたのか
松坂慶子さんと両親の和解のきっかけとなったのは、2007年12月の父・英明さんの死去でした。 この出来事を機に、松坂さんと母・つね子さんの関係が徐々に修復されていきました。
その後、つね子さんの高齢化に伴い、松坂さんと高内さん夫妻が介護を担当するようになります。 2012年秋頃からは、つね子さんが松坂さん夫妻と同居するようになりました。
この同居介護を通じて、高内さんの真面目な性格や家族思いの一面が、つね子さんにも理解されるようになりました。 結果として、かつての確執を乗り越え、家族の絆が深まっていったのです。
高内春彦は本当に「ヒモ」だったのか
高内春彦さんが「ヒモ」であるという噂は、結婚当初から長年にわたって囁かれてきました。 しかし、実際にはこの噂は事実とは異なっています。
高内さんは、ジャズギタリストとして確かな実力を持ち、ニューヨークでの活動中は高額な報酬を得ることもありました。 日本でも、ライブやセミナーなどの活動を通じて収入を得ています。
また、松坂慶子さんが仕事で忙しい時には、家事や育児を担当するなど、家庭内でも重要な役割を果たしてきました。 特に、松坂さんの母・つね子さんの介護においては、献身的なサポートを行っています。
これらの事実から、高内さんを単純に「ヒモ」と呼ぶのは適切ではないと言えるでしょう。
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