2025年4月、かつて「秒速で1億円稼ぐ男」として知られた実業家・与沢翼さんが離婚を発表しました。タイ移住後に覚せい剤にハマり、妻の相原麻美さんと3人の子どもたちが日本へ帰国するという衝撃の展開となりました。
今回は、与沢翼さんの元妻である相原麻美さんに焦点を当て、二人の出会いから結婚生活、そして離婚に至るまでの経緯を詳しく見ていきます。
与沢翼の奥さんはどのような人物だったのか?
与沢翼さんの元妻である相原麻美さんは、元レースクイーン・グラビアアイドルとして活動していた女性です。
愛称は「あさみん」「あーたん」と呼ばれていました。東京都出身で、デビュー当初は「大浦麻美」という名義で活動していましたが、2012年後半から「相原麻美」に改名しています。
相原麻美さんは1988年7月29日生まれで、現在36歳です。身長159cm、体重42kgという抜群のスタイルを持ち、趣味・特技はピアノで、幼稚園教諭の資格も持っています。また、温泉ソムリエの資格も持っているという多才な一面もあります。
2011年にレースクイーンとしてデビューし、「ホンダカーズ東京with G/MOTIONレースクイーン」の「Aile Girls」や、SUPER GTの「BOMEX & Verity JLOC GALS」などで活躍しました。また、山下智久さんの「はだかんぼー」というPVにも出演経験があります。
結婚後は芸能活動を引退し、与沢翼さんの妻として家庭を守る立場に専念していました。3人の子どもたちの育児に奮闘する姿を、与沢翼さん自身がSNSで度々紹介していました。
与沢翼と奥さんの馴れ初めはどうだったのか?
与沢翼さんと相原麻美さんは、2013年に港区のパーティーラウンジカフェ「1967」で出会いました。
驚くべきことに、その出会いからわずか2日後に、与沢翼さんは自身のブログで交際宣言をしています。さらに驚くのは、その3日前に以前交際していた女性との別れを公表していたという点です。
相原麻美さんは、与沢翼さんをテレビで見て知っていたそうですが、実際に会う前は印象があまり良くなかったと言います。しかし、実際に話してみると優しい一面があり、そのギャップに惹かれたようです。また、二人には共通の友人もいたことから、自然と親しくなっていったようです。
2014年1月から交際をスタートした二人ですが、その直後に与沢翼さんは事業の失敗により自己破産を経験します。世間からの批判も相次ぎ、精神的にも追い込まれた与沢翼さんを支えたのが、相原麻美さんでした。「お金がなくなっても私の実家に住めばいい」と前向きな言葉をかけ続けた相原麻美さんの献身的なサポートは、与沢翼さんの心に深く響いたと言われています。
そして、相原麻美さんの妊娠をきっかけに、2016年7月に結婚することになりました。同年12月27日には長男・麗くんが誕生し、ドバイからSNSで出産を報告しています。
与沢翼と奥さんの家族構成はどうなっていたのか?
与沢翼さんと相原麻美さんの間には3人の子どもがいます。
第一子・長男「れい」くんは2016年12月27日生まれで、現在8歳です。与沢翼さんによると、日本語に加え、英語、タイ語、アラビア語なども話し、サッカーとゴルフに興味を持っていたそうです。
第二子・長女「にな」ちゃんは2021年5月25日生まれで、現在3歳です。待望の第二子であり、女の子の誕生に家族全員が喜びに包まれたと報告されています。
第三子・次女「みらん」ちゃんは2023年7月30日生まれで、現在1歳です。これにより、与沢翼さん家族は1男2女となりました。
与沢翼さんは自身のSNSで、家族との写真をたびたびアップしており、とても仲睦まじい様子でした。特に子どもたちとの時間を大切にしている様子が伺えました。
与沢翼と奥さんの海外での生活はどのようなものだったのか?
与沢翼さん一家は、結婚当初はドバイを拠点に生活していました。相原麻美さんは長男・麗くんをドバイで出産しています。出産は急きょ帝王切開になり、麻酔を打たれて朦朧とする中での出産だったそうです。出産翌日には相原麻美さんの母親がドバイに駆けつけ、2週間ほど育児を手伝ってくれたと言います。
ドバイでの生活について、相原麻美さんは「ドバイは日本語が通じる病院がないので、お医者さんに聞きたいことは翻訳して聞いたりする苦労がありました」と語っています。また、日本の友人にLINEで相談したり、ネットで情報を調べたりしながら、海外での子育てに奮闘していたようです。
その後、2022年頃からは主にタイのバンコクを拠点に生活するようになりました。タイでは現地のシッターさんを雇い、時には子育ての息抜きとして一人でカフェに行ったり買い物をしたりする時間も作っていたそうです。
海外での子育ての良い点として、相原麻美さんは「周りがみんな子どもを大好きなこと」を挙げています。「他人の子どもに対して寛容で、あやしてくれたり、ベビーカーを運ぶのをみんなで手伝ってくれたり、子育てに関して窮屈なところがなくて安心しています」と語っていました。
一方で、「街に小さな公園がたくさんある」という点では日本の方が良いとも感じていたようです。タイもドバイも近所に公園がなく、特に暑い日は子どもを遠くまで連れていくのが大変だったと言います。
2022年12月の時点では、ドバイの豪邸で家族と共に暮らしていました。当時の自宅は380坪の2階建てで「9LLDKK」、リビングは75畳の広さがあり、購入時は4億5000万円だったが、当時の価値は約20億円と語っていました。しかし、2024年10月にはこのドバイの自宅を約10億4400万円で売却し、タイのバンコクの「One Bangkok」という高級物件(リッツカールトンホテルの上)に住むようになりました。
与沢翼と奥さんの離婚に至った経緯はどうだったのか?
与沢翼さんと相原麻美さんの離婚に至った経緯は複雑です。2025年4月18日、与沢翼さんは自身のSNSで「SNS更新してなかった理由でもありますが、仕事をやめてタイに来てから『覚せい剤』にどっぷりはまっていました」と衝撃の告白をしました。同時に、妻と3人の子どもたちが日本に帰国したことも明かしています。
与沢翼さんは「奥さんには昔、DVっぽいことをしたり、モラハラっぽいことも多々してきました。本当に心から謝罪します」と過去の行為を反省する言葉も綴っていました。また、「怒鳴ったり、写真のフレームを壊して足に怪我をさせてしまったり」と具体的な暴力的言動があったことも告白しています。
4月19日には、相原麻美さんから離婚を申し出されたことを明かし、「覚せい剤より絶望していること」として、子どもたちと会えない絶望感を吐露しました。「れい、にな、みらんには、もう会えない」と絶望的な心情を綴り、何度も連絡を試みているものの返答はないと語っています。
さらに4月21日には、自身のYouTubeチャンネルで「幸せになってね。」と題した約2時間弱の動画をアップし、改めて自身の薬物中毒について言及しました。この中で、妻にも覚せい剤を勧めていたことを告白し、「キメセクをしようと」誘ったことも明かしています。
そして4月22日、与沢翼さんは「財産分与に合意し、離婚に応じました。2年以内に必ず完済します。麻美、ありがとう。本当に今までごめん」と離婚を正式に発表しました。YouTubeの動画でも「今日、奥さんが役所に行くと。離婚届を作成するんで、タイに送ると。私も受領し次第、判を押して、送り返して、離婚に決定しました」と説明しています。
また、財産分与については「そういう形じゃない方がいいのかなって思っていましたけど、書面を作って、それに合意をしました」とし、「麻美も譲歩してくれたし、私たちの関係は良好です。非常に良好な形で終わっています」と円満を強調しました。
与沢翼は奥さんに対してどのような思いを持っていたのか?
与沢翼さんは、様々なメディアやSNSを通じて、妻・相原麻美さんへの愛情を積極的に表現していました。特に印象的なのは、「妻といるとキャバクラにいるときと同じ顔をしている」という発言で、これは妻との時間が最高の癒しになっているという心境を表現したものでした。
与沢翼さんは、相原麻美さんについて「自分の全てを理解してくれる、かけがえのないパートナー」と評価しており、特に困難な時期を共に乗り越えてくれた強さ、家族を第一に考える価値観の一致、子育てに対する献身的な姿勢を高く評価していました。
しかし一方で、与沢翼さんは結婚後も女性関係に葛藤を抱えていたようです。2023年10月のSNS投稿では「私が最後まで持ってた葛藤は女遊びについてでした。過去のことは奥さんも把握してて、奥さんに愛人作っていいか直接聞いたこともあります(当然却下)」と告白しています。
そして「結婚して出産した夫婦でも『奥さんに彼女の機能を完全に戻しちゃえばいい』」と、妻を愛することで心を満たすことにしたと語っていました。「そもそも自分の子を産んだ妻ですから本来的には妻がもっとも愛おしく歴史や文脈もある。子供たちも夫婦仲が良いのは喜んでくれるからこれは全方位にとって良い最強のアイディアです」と熱く語っていました。
また、将来を見据えて「じいさんになったとき誰が一番自分にとって必要になるかと考えると、ぴちぴちギャルじゃなくてばあさん(妻)だろうなと思っています。シングル満喫できるのは強い人間に限られる。じいさんは孤独との闘いになる。私は自分の体力だけでなく精神力が劣化することも見込んでいます。子・孫・ばあさんがいれば20年後はさらに違った幸せの形が訪れているはずなんです」と語っていました。
しかし、そんな家族への思いとは裏腹に、タイ移住後に覚せい剤にハマってしまい、最終的に家族を失う結果となってしまいました。
与沢翼の離婚後の現在はどうなっているのか?
2025年4月23日、与沢翼さんは自身のX(旧ツイッター)を更新し、覚醒剤使用を告白し、妻との離婚を発表したばかりですが、新たに「同居」する相手を報告しました。詳細は明かされていませんが、「しばらく暮らす」相手がいるようです。
また、与沢翼さんはSNSで「タイの刑務所に行く必要があればしっかりと行ってきます」と述べており、法的な責任を取る覚悟も示しています。タイにいる間は仕事ではなく、趣味や新しいことに挑戦するようです。
子どもたちとの関係については、「子供や奥さんと再会するのはずっと後になりそう」と語っています。DVを振るっていたことが明かされており、薬の後遺症が落ち着くまでは再会は難しいようです。
財産分与については「2年以内に必ず完済します」と誓っており、今後も投資活動を続けながら経済的な立て直しを図っていくと考えられます。
まとめ
「秒速で1億円稼ぐ男」として知られる与沢翼さんと元妻・相原麻美さんの結婚生活は、2025年4月に幕を閉じました。元レースクイーン・グラビアアイドルだった相原麻美さんは、与沢翼さんの自己破産という人生最大の危機を支え、3人の子どもを育てながら海外での生活を共にしてきました。
しかし、タイ移住後に与沢翼さんが覚せい剤にハマったことで家族関係は崩壊し、相原麻美さんは3人の子どもを連れて日本に帰国。その後、離婚が成立しました。
与沢翼さんは「財産分与に合意し、離婚に応じました。2年以内に必ず完済します」と誓い、「麻美、ありがとう。本当に今までごめん」と感謝と謝罪の言葉を述べています。
かつては「愛妻家」として知られ、「奥さんに彼女の機能を完全に戻す」という独自の家族観を持っていた与沢翼さんですが、薬物依存によって最も大切にしていた家族を失う結果となりました。今後、与沢翼さんがどのように再起を図り、家族との関係を修復していくのか、注目されるところです。
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