「プロレス界の帝王」高山善廣の事故から8年、首から下が動かない絶望から奇跡の一人座りまで、不屈の闘志で続ける壮絶リハビリの全記録

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2017年5月4日、プロレス界に衝撃が走りました。「プロレス界の帝王」と呼ばれた高山善廣さんが、DDT大阪・豊中大会での試合中に前方回転エビ固めを仕掛けた際、頭部を強打し、その場で動けなくなる大事故が発生したのです。

この事故により高山さんは頸髄完全損傷という重篤な怪我を負い、首から下が動かない状態に。医師からは「回復の見込みは現状0%に近い」と宣告されました。

あれから8年、高山さんは懸命なリハビリを続け、少しずつですが回復の兆しを見せています。2025年3月には「写真を撮ってる間くらいは一人で座っていられるようになりました」と公式ブログで報告し、ファンを感動させました。

本記事では、高山さんの事故の詳細から現在に至るまでの闘病生活、そしてプロレス界への影響について詳しく見ていきます。

高山善廣の事故はどのようにして起きたのか?

高山善廣さんの事故は2017年5月4日、DDTプロレスリングの大阪・豊中大会で発生しました。対戦相手はヤス・ウラノ選手。試合中、高山さんが前方回転エビ固めという技を仕掛けようとした際に頭から落ちて強打し、その場で動けなくなりました。

この事故の瞬間、リング上では異変に気づいたレフェリーが対応に追われました。木曾レフェリーがリングサイドにいた松井レフェリーを呼び、松井レフェリーは高山さんの体を引き起こしたとされています。これについては後に「首を強打して倒れている人を無理やり起こすのは危険」という指摘もありましたが、松井レフェリーによれば、高山さんが「苦しい。息ができないので体を起こして欲しい」と言ったため対応したとのことです。

試合は中断され、高山さんは大阪府内の病院に救急搬送されました。当初の診断名は頸髄損傷および変形性頸椎症とされ、同月8日に手術を受けています。しかし、その後の検査で頸髄完全損傷という重篤な状態であることが判明しました。

事故の原因については、単に技の失敗というだけでなく、長年のキャリアによる「勤続疲労」も指摘されています。蝶野正洋さんは「そこらへんの(年数の)選手になると古傷があります」と語り、1試合だけの影響ではなく、長年の蓄積によるダメージが何かの拍子で「暴発」した可能性を示唆しています。高山さんは2004年に脳梗塞を発症した経験もあり、体への負担が積み重なっていた可能性があります。

頸髄完全損傷とはどのような状態なのか?

高山善廣さんが負った頸髄完全損傷とは、どのような状態なのでしょうか。頸髄とは首の部分にある脊髄のことで、ここが完全に損傷すると、その部分より下の運動機能や感覚が失われてしまいます。高山さんの場合、首から下の感覚がなく、自力で体を動かすことができない状態になりました。

事故直後の状況は非常に深刻でした。2017年9月4日に行われた会見で、高山さんのマネージャーである石原真氏は「意識はあるが、首から下の感覚がなく、人工呼吸器をつけて呼吸をする状況でした」と説明しています。さらに、手術後は自力呼吸ができず、心臓停止のトラブルも発生していたことが明かされました。

その後、自力呼吸が可能となり、集中治療室(ICU)から準集中治療室(HCU)へ移り、2017年8月中旬に関東の病院に転院しています。しかし、肩から下の感覚が全く戻っておらず、医師による「回復の見込みは現状0%に近い」という厳しい見解が示されました。

頸髄完全損傷の患者は、日常生活のあらゆる動作に介助が必要となります。食事、排泄、移動など、基本的な生活動作すべてに支援が必要な状態です。高山さんも長期の入院生活を余儀なくされ、その後も継続的なリハビリテーションが必要な状況が続いています。

事故後の高山善廣の闘病生活はどうだったのか?

高山善廣さんの事故後の闘病生活は、まさに不屈の闘志を示すものでした。事故直後は生命の危機さえあり、自力呼吸もできない状態でしたが、少しずつ回復への道を歩んでいきます。

2017年の事故から約6年が経過した2023年4月、高山さんは誤嚥性肺炎で入院することになりました。これは、気管を切開した後、自力での呼吸ができるようになったため、切開した穴をふさぐ手術をしたことが関係していると考えられます。この入院は約6週間続き、2023年5月1日にようやく退院しています。

高山さんの妻は公式ブログで「良かれと思って受けた手術から、退院するまで6週間くらいかかってしまいました」と報告。また「今回『もう病院はイヤだー早く出たいーー』で退院してきましたが、食事の形態は以前より柔らかく食べやすくなりました。このまま死ぬまで普通の食事ができないのは悲しいので、なんとかリハビリは続けたいと思っているのですが、どうなりますやら….三角形のケーキは二口で食べ終わってしまう実力の持ち主だった頃がウソのよう!」と当時の状況を綴っています。

そして2025年3月、高山さんは公式ブログとX(旧ツイッター)を更新し、リハビリの成果を報告しました。「新作Tシャツを着てジムに来ました!」と黒を基調にしたTシャツを着て、バーを持ってトレーニングする様子を投稿。「写真を撮ってる間くらいは一人で座っていられるようになりました。最初の頃は前後からトレーナーの方に支えてもらわないと座っていられなかったのです。写真を撮ったあと、しばらくするとだんだん横に傾いてきちゃうのですが、地味に少しずつできるようになっております」と記しています。

この報告に対し、ファンからは「高山さん凄いです!さらなる回復を願ってます」「トレーニング時は顔が一気にプロレスラーに戻るなぁ、さすがだ」「これは奇跡が起き始めてるのかもしれん!」といった声が寄せられました。医師からは「回復の見込みは現状0%に近い」と言われながらも、少しずつですが確実に回復の兆しを見せている高山さんの姿に、多くの人が感動と希望を見出しています。

プロレス界はこの事故にどう対応したのか?

高山善廣さんの事故は、プロレス界全体に大きな衝撃を与えました。特に親友である鈴木みのるさんは、2017年9月4日の会見で涙ながらに支援を呼びかけ、多くの人の心を動かしました。

鈴木みのるさんは「10何年か前、オレが体もよくないし、プロレスできないなと思ってた時に、彼とドン・フライの試合を見て、オレは何やってんだろうと思って。その後、戦って意気投合して、新日本プロレス、全日本プロレス、各メジャー団体を一緒に暴れ回って、同じ時間を共有した、自分の親友です」と声を詰まらせながらコメント。続けて、「普段、『バカヤローッ』って、人のことぶっ飛ばしてるクソ野郎が何を言っても皆様には響かないと思いますが、ぜひ高山善廣に…勇気をたくさんもらったと思うので、力を貸して下さい。前田日明さん、彼の一番最初の師匠である高田延彦さん、ぜひ、力を貸して下さい」と呼びかけました。

この呼びかけを受け、DDTプロレスが中心となって支援団体「TAKAYAMANIA」を設立。新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノア、DRAGON GATEなど数多くの団体が自作の募金箱を試合会場に設置し、支援を呼びかけました。また、高山さんプロデュースによるプロレス興行なども行われ、その収益はすべて高山さんの治療費に充てられました。

さらに、この事故をきっかけにプロレス界では選手の安全対策についても議論が活発になりました。蝶野正洋さんは「使う側、団体側がそういう(事故防止の)ルールをつくるしかないと思います。選手は多少のけがを負ってでも、無理をしてでも自分をアピールしようと思って出る。これはどの業界でも変わらないと思う。使う側がそこをちゃんと見極めて、規制をつくらないと止まらないと思います」と語り、団体側の責任を強調しています。

新日本プロレスでは、所属選手に対してMRIやCTを含めた健康診断を年1回実施し、そのデータを蓄積する取り組みを行っています。また、試合数を限定して選手の負担を減らす対策も検討されるようになりました。高山さんの事故は、プロレス界全体に選手の健康管理の重要性を再認識させる契機となったのです。

高山善廣はリングに復帰することができるのか?

高山善廣さんのリング復帰については、医学的な観点からは非常に厳しい見方がされています。頸髄完全損傷という重篤な怪我の性質上、完全な回復は極めて困難とされているからです。しかし、高山さんは諦めることなくリハビリを続け、少しずつですが回復の兆しを見せています。

2024年9月3日、東京・後楽園ホールで開催された支援イベント「TAKAYAMANIA」のメインイベント終了後、高山さんは盟友・鈴木みのるさんに呼び込まれ、約7年4か月ぶりに公の場に登場しました。さらに、鈴木みのるさんとの「時間無制限1本勝負」のシングルマッチも行われ、大きな話題を呼びました。これは象徴的な形でのリング復帰と言えるでしょう。

しかし、実際に自分の力でプロレスの試合をするという意味での完全復帰は、現状では非常に難しいと言わざるを得ません。2025年4月21日の記事によれば、「現在の高山選手は、リハビリを続けているものの、プロレス界における復帰が現実的かどうかは難しい問題です。しかし、少なくともメディアに顔を出し、後進の育成やアドバイザーとして活動している点を考慮すると、完全な復帰は難しくても、何らかの形でファンの前に姿を見せる機会はあり得るかもしれません」と分析されています。

高山さん自身も「諦めることはせず、努力しております」と語っており、どのような形であれ、プロレス界に貢献し続けたいという強い意志を持っています。完全な現役復帰は難しいかもしれませんが、アドバイザーやプロデューサーとしての活動、あるいは象徴的な形でのリング登場など、様々な形での「復帰」の可能性は残されているでしょう。

プロレス界の安全対策はどう変わったのか?

高山善廣さんの事故は、プロレス界全体に安全対策の見直しを迫るきっかけとなりました。特に頭部や頸部への衝撃を伴う危険な技の規制や、選手の健康管理の徹底などが議論されるようになりました。

蝶野正洋さんは「(レスラー)本人たちも怖いんですよ、リングに上がる時は。ただリングに上がったら、そういった制御がなくなっちゃうところがある。今回はリングで起きた事故なんですけど、業界全体、プロモートする側、使う側がルールをかけないと止まらないと思います」と語り、団体側の責任を強調しています。

新日本プロレスでは、所属選手に対してMRIやCTを含めた健康診断を年1回実施し、そのデータを蓄積する取り組みを行っています。また、三沢威メディカルトレーナーは試合数を限定して選手のシリーズ参戦を考える意向を表明し、木谷高明オーナーも「選手の健康管理をすべて見直していきたい」と話しています。

しかし、プロレス界全体としての統一的なルール作りや安全基準の確立はまだ道半ばです。「三沢さんの事故以降、プロレスにもライセンス制度をと各団体で話し合いがあったのですが、現在までに特に進展はありません。『どこまでに発行?』と線引きは難しいと思います」という指摘もあります。

プロレスはエンターテイメントとしての側面と、アスリートとしての側面を併せ持つ特殊な競技です。観客を魅了するためには迫力ある技や演出が必要ですが、同時に選手の安全も確保しなければなりません。この難しいバランスをどう取るかが、今後のプロレス界の大きな課題となっています。

高山善廣の事故が残した教訓とは何か?

高山善廣さんの事故は、プロレス界だけでなく、スポーツ界全体に多くの教訓を残しました。その最も重要なものは、選手の安全と健康管理の徹底の必要性でしょう。

プロレスラーは常に「強さ」や「タフさ」をアピールするため、多少の怪我や体調不良があっても無理をして試合に出場する傾向があります。蝶野正洋さんが指摘するように「選手は多少のけがを負ってでも、無理をしてでも自分をアピールしようと思って出る」のです。しかし、そのような無理が積み重なることで、取り返しのつかない大事故につながる可能性があることを、高山さんの事故は示しています。

また、長年のキャリアによる「勤続疲労」の危険性も重要な教訓です。高山さんは2004年に脳梗塞を発症した後も復帰し、活躍を続けていました。しかし、そのような過去の大きな怪我や病気が、体に蓄積されていくことで、新たな事故のリスクを高める可能性があることを認識する必要があります。

さらに、事故発生時の適切な対応の重要性も浮き彫りになりました。高山さんの事故の際、レフェリーが体を起こしたことについて議論がありましたが、首や背骨に損傷がある可能性がある場合、基本的には「本人の体を動かさない」「救急車を呼ぶ」「救急隊到着まで首と頭を固定する」などの対応が推奨されています。スポーツ現場での緊急時対応の知識と訓練の必要性も、この事故から学ぶべき重要な点です。

高山さんの事故は悲劇ですが、その経験から学び、同様の事故を防ぐための対策を講じることで、将来の選手たちの安全を守ることができるでしょう。それこそが、高山さんの事故が残した最も大きな教訓と言えるのではないでしょうか。

まとめ

2017年5月4日、DDT大阪・豊中大会での試合中に前方回転エビ固めを仕掛けた際に頭部を強打し、頸髄完全損傷という重篤な怪我を負った高山善廣さん。医師からは「回復の見込みは現状0%に近い」と宣告され、首から下が動かない状態となりました。

しかし、高山さんは諦めることなく懸命なリハビリを続け、2025年3月には「写真を撮ってる間くらいは一人で座っていられるようになりました」と公式ブログで報告。「最初の頃は前後からトレーナーの方に支えてもらわないと座っていられなかった」状態から、少しずつですが確実に回復の兆しを見せています。

この事故をきっかけに、プロレス界では選手の安全対策についての議論が活発になりました。蝶野正洋さんは「使う側、団体側がそういう(事故防止の)ルールをつくるしかない」と語り、団体側の責任を強調。新日本プロレスなどでは健康診断の徹底や試合数の制限など、具体的な対策も検討されるようになりました。

高山さんのリング復帰については、完全な現役復帰は医学的に見て非常に厳しいものの、2024年9月には支援イベント「TAKAYAMANIA」で約7年4か月ぶりに公の場に登場し、鈴木みのるさんとの象徴的な「試合」も行われました。今後も何らかの形でプロレス界に貢献し続けることが期待されています。

高山さんの事故は悲劇ですが、その経験から学び、同様の事故を防ぐための対策を講じることで、将来の選手たちの安全を守るための重要な教訓となっています。そして何より、「諦めることはせず、努力しております」という高山さんの不屈の闘志は、多くの人々に勇気と希望を与え続けているのです。

 

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